 |
JA愛媛たいき管内で農業を営んでいらっしゃる方々からへのインタビューをレポート形式でご紹介していきます。 |
 
|
■最新レポート
|
 |
仕事をするのが 一番楽しい
|
|
真空パック後、ラベルを貼って出来上がり
|

『きたや』と掲げられた表札。大洲市河辺町で粕漬けを作られているのは、上川勝利さん・千代香さんご夫婦。作業台の上に置いてある袋詰めされた粕漬けは、一見すると椎茸にも見えるが、「これは玉ねぎの粕漬けなんだよ」と勝利さん。「必ず2度漬けをして、1年半から2年漬け込んで熟成させたものしか出荷しない」と話され、玉ねぎの他に、きゅうり・白うりの粕漬けを作られています。建設関係の仕事をしていた勝利さんは、定年を迎えたのをきっかけに、何か楽しいことをしたいと考えるように。元々きゅうりを栽培し出荷していたことから、規格外になってしまう曲がったきゅうりを使って何かできないかと、7年前から粕漬けを作り始めました。「最初の2年間は、納得のいくものができず、作っては捨て作っては捨てを繰り返していました。商品として出せるようになったのは5年前からです」と話します。こだわりを持って作られている上川さんご夫婦。使用する水は、山の中を掘って見つけた湧き水で、試験場に送り検査を受けた無菌の水。酒粕は神戸まで探しに行って見つけたものを使用し、沖縄県産の黒砂糖を使うのも上川さんのこだわりです。粕漬けを熟成させる貯蔵庫は、山の表面をくり貫いた場所に作り、夏と冬の室内の温度差がほとんどありません。「あまりお金にはならないけど、おもしろい。仕事をするのが一番楽しい」と話す勝利さん。「仕事して体を動かしてるから元気だしね」と笑う千代香さん。愛たい菜オープン前に行われた加工食品出荷予定者の味見会では、漬物部門で高い評価を得た上川さんの粕漬け。愛たい菜で、こだわりの粕漬けをたくさんの人に知ってもらうのを楽しみにしているお2人でした。
|
|
 |
 |
私にピッタリ これしかできない
|
|
収穫する様子
|

自宅の周りにずらっと並んでいるシキミ(ハナシバ)の木。肱川町大谷でシキミを栽培されているのは、山本晴美さん。淡黄色の花を咲かせ、仏事に用いられるシキミ。栽培するきっかけを尋ねると、「18年ほど前、お姑さんが四国遍路をした際、シキミが植えてあるところを見て、急に思い立って2000本の幼木を注文して帰ってきたんです」と話す晴美さん。後日、本当に幼木と肥料がどっさり届き、とても驚いたそうです。最初の5、6年は除草などの管理が大変だったが、成木になると年に数回草刈をするくらいで、ほったらかしにしていて出荷しようとかは考えてなかったという。ちょうどその頃、肱川に道の駅ができ、出荷してみたのがきっかけで、現在まで続けている。晴美さんは「朝夕の涼しい時に収穫できて手入れがあまり必要ないシキミの出荷は、農作業が大の苦手でズボラな私に、まさにピッタリでした。これならできるというより、これしかできないという感じ。ばあちゃんには本当に感謝です」と笑います。そんな感謝を込めて、道の駅で出荷を始めて1年後には、その収入で姑のヌイヱさんと2人で1週間の宮古島旅行へ。「生まれて初めての飛行機に、ばあちゃんはとっても喜んでくれました」と嬉しそうな晴美さん。それからは、年の始めに収入の一部を何に使うか考え、田植え機や軽トラの購入費用など目標をたてるようにし、毎年楽しみながら出荷しているようです。今年から当JAにも出荷していく予定の山本さん。「今年はお盆前の出荷を目標に、他の花卉部会の皆さんと協力して頑張ってみたい」と話し、たいき産直市愛たい菜にも出荷していくという。そのためにも「こらからは、もう少し栽培面積を増やしていきたい」と意欲を語っていただきました。
|
|
 |
 |
竹の下には旬がある そこには筍がある
|
|
筍は足の感覚で探る
|

早朝に筍の根切りしたものを青果市場に届けているJA愛媛たいき筍部会。部会長を務める胸福寿男さんは、奥さんの幸さんと2㌶の竹園で筍を出荷されています。寿男さんが就農されたのは24歳のとき。大阪で会社勤めをされていた寿男さんに悪い知らせが入りました。専業農家としてがんばっておられたお父さんが亡くなられたという知らせ。このまま農地を荒廃させてはいけないという思いから帰郷し、就農されたそうです。「出稼ぎに行っていましたが、私は産み落とされた日から今までずっと農家だと思っています」と寿男さん。現在は、筍のほかに栗・キウイフルーツも栽培されています。筍の出荷2月下旬〜5月中旬。この間は、早朝から深夜まで筍の出荷作業に追われるそうです。「会社員の就労時間は8時間。この期間の筍出荷者は、体を休める時間が8時間」と笑顔で話す寿男さん。この期間で体重が2〜3㎏落ちるほど、過酷を極める作業だそうです。収穫時期だけでなく、竹林の管理が重要ということで8月〜12月は竹の間伐作業を行われているとのこと。胸福さんご夫婦にとっては、栗・キウイフルーツの出荷時期が重なることから、「大変じゃないですか?」との質問に「大変ですよ」とあっさり一言。それでも筍出荷にこだわる理由について「現代は、ハウス栽培が多くなり旬がなくなっている。しかし筍だけには旬がある。これを守ることが大事なんじゃないのかなぁ」と話されました。「お2人の趣味は何ですか?」とお尋ねすると寿男さんは狩猟とのこと。幸さんに同じ質問をすると「う〜ん」と悩まれている様子。そこで寿男さんが「母ちゃんの趣味は、父ちゃん孝行。ずっと支えてもらっているからね」と一言。夫婦仲の良さが伺える瞬間でした。最後に胸福さんご夫婦は「部会員が高齢化し、放置されている竹林が増えてきている。後を継いでくれる若い農業者が出てきて欲しい」と願いを込められました。
|
|
 |
 |
アドバイスで始めたいちご栽培 現在は部会のリーダーに
|
|


いちご収穫の様子
|

愛媛県内の各JAいちご部会の中でも1番平均年齢の若いJA愛媛たいきいちご部会。部会の部会長を務められる大野朝司さんは、奥様の美佐枝さんと内子大瀬南の10aの施設でいちご栽培をされています。朝司さんは、農業高校を卒業後、タバコ農家を継ぐために就農。就農後20年間は、タバコと水稲で生計を立てておられたそうです。いちご栽培に取り組まれたのは12年前から。タバコ農家としての経営が難しくなり、朝司さんが相談したのは同じ農業を職業としている同級生。「同級生がいちご栽培を始めたらどうかとアドバイスしてくれた」と当時を振り返られます。結婚するまでは農業未経験だった美佐枝さんも「いちご栽培を嫌だと思ったことはありません」と話され、いちご栽培を導入したことは大成功だったようです。いちご栽培の難しさは、他の作物と比べると細かな管理を怠ると収穫量に大きく影響する点と言われる朝司さん。最近は、経済不況の影響が、野菜・果樹販売価格低下に繋がっているのも悩みだそうです。部会長の立場として朝司さんは「愛媛たいきの部会員は若さがある。この若さを活かし、販促活動などを行っていければ厳しい状況も乗り切れるのではないか」と意気込んでおられました。朝司さんの趣味は、農機具を改造したり、自分で農業用施設を作ったりすることだそうです。その腕前は趣味の域を超えた本格的なもの。収穫作業の省力化を図るために整備されている高設施設も「これ自分で作ったんですよ」と朝司さん。他にもトラクターに簡易パーツを取付けて急造除雪車を作ったり、施設内の電気配線を行ったりと楽しみながら仕事に活かされているようです。今後について大野さん夫妻は「いちご栽培の規模を拡大したい。あとは農業を継いでほしいとは言わないから、息子たちが家の近くに残ってくれたらなぁ」と話されました。最後にあまりにも立派な自作の施設を見て「本当に農業高校卒業なんですか?(工業高校卒業じゃないとこんな施設作れないだろ…と疑いながら)」と尋ねると、「農業高校卒業です。卒業後はずっと農家です」ときっぱりと笑顔で返される朝司さんでした。
|
|
 |
 |
地域の繋がり人との関わりを大切に
|
|


しいたけ収穫の様子
|

羽柴忠幸さん・アヤコさん夫妻は、大洲市成能のほだ場でしいたけを栽培されています。羽柴さんがしいたけ栽培を始められたのは15年前。それまで建築業を営まれていましたが、年齢を重ねてきたこともあり規模を縮小。ちょうどその時期に、所有する山林を伐採したことがきっかけで、しいたけ栽培を始められたそうです。アヤコさんは「最初は家で食べる分だけのつもりが、どんどん増えて出荷するまでになりました」と笑顔。建築業と農業の違いについて忠幸さんは「モノ作りという点においては、何も変わりません。ただ農業は、自然相手なので難しい」と話されました。しいたけ栽培する有志が集まり、栽培・経営分析・販売について独自に研究している「げんぼく55会(会長=成騠王洋氏)」に昨年から加入。忠幸さんは「研修会などに参加し、他のほだ場を見ることができることは大変勉強になります」と、しいたけ栽培研究を続けられており、各品評会において入賞者の常連となっておられます。「地域の繋がりが重要です」と話す忠幸さんは、大川地区の20名で組織される大川やぐら会の代表も務められているそうです。この会は、様々なイベント等で昔懐かしいやぐらで、餅つきを行うというもの。「売上はありますが、私を含めて会のメンバーはボランティア。無償なのにみんな集まってよくやってくれます」と笑顔で語られます。地元産のもち米を安心して地元の人に食べてもらいたいという思いから、餅つきに使うもち米はやぐら会のメンバーが作った大川産のもの。全員が地元の方ということで、気心の知れたメンバーで和気あいあいと活動されているそうです。農業と地域活動でお忙しい羽柴さん夫妻ですが、忠幸さんは鮎とり、アヤコさんは料理を趣味にされているとのこと。大川やぐら会のメンバーが集まる際には、忠幸さんが獲った鮎やアヤコさんの料理を、振舞われているそうです。これからについて忠幸さんは「健康なうちは、しいたけを作り続けたい。建築物と違って農業には完成はありませんから。品質の良いしいたけを出荷するため、これからも勉強です」と決意を語っていただきました。そして最後に羽柴さん夫妻は「人との繋がりは大切。この繋がりをいつまでも持ち続けられたらいいですねぇ」と互いに顔を見合わせて笑われました。
|
|
 |
 |
たいき産みかんの発展を願い三世代が連携
|
|


みかん収穫の様子
|

段々畑のみかん園から、賑やかに楽しそうな声が聞こえてきました。大洲市柴の徳山尚子さんは、お父さんの三幸さんと息子さんの雄一さんの3人で、キウイフルーツ・水稲・キュウリ・温州みかん栽培をされています。徳山家のみかん栽培の歴史は約50年前まで遡ります。三幸さんは、地元企業に勤務されていましたが、兼業農家としてみかん栽培を開始。「晴耕雨読の精神で農業を始めましたが、雨の日に本を読むなんて忙しくてしたことがない」と苦笑いの三幸さん。定年退職後から専業農家として現在まで続けられています。「小学生の頃から、みかん作りを手伝ってきました」という尚子さんは、高齢になった三幸さんに無理はさせられないという思いから7年前に専業農家へ。「母ちゃんの手伝いをしなければ」という思いを持った雄一さんも、同時期に専業農家へ転身されました。会社勤めをしていた尚子さんと雄一さん。農業の楽しさについて「消費者に美味しいみかんを食べてもらいたいという一心で管理をし、収穫する喜び。良質なみかんを収穫する瞬間は格別です」と笑顔。反対に厳しい面については「収入が安定しないのは会社勤めとの大きな違い。鳥獣害対策にも頭を悩ませています」となかなか厳しいようです。昨年からJA愛媛たいきが取り組んでいるブランドみかん『愛み(まなみ)』。糖度13度以上で、紅の濃い外観が優れたみかんです。この『愛み』を出荷している徳山さん一家。尚子さんは「L・M玉出荷を目標に、日当たりの良いみかんを出荷。ブランドみかんの名前を汚さないように細心の注意を払っていますが、まだまだ勉強が必要です」とブランドみかん栽培に余念はないようです。今後の夢について「摘果したみかんを利用できるような方法を模索したい。例えば、みかんを使った料理レシピの考案など。」と尚子さん。雄一さんは「自分の子どもが、みかん栽培したいと思えるような経営をしたい」と話されます。最後に「愛媛たいき産みかんが生き残るように、微力ながらがんばりたい」と3人揃って一言。たくさんのみかんが輝く中で、より輝く3人の笑顔がとても印象的でした。
|
|
 |
 |
農業は 日々勉強です
|
|
収穫の様子
|

キウイ部会柳沢支部長を務められている宮本喜一郎さん。奥様のチトシさんと二人で、40aの畑でキウイフルーツを栽培されています。代々農家で、両親の跡を継いで農業を始めた喜一郎さん。最初は主に椎茸と栗を作られていたそうです。「果樹部会でキウイの圃場へ視察に行ったのがキウイを作ろうと思ったきっかけです」という宮本さん夫妻は、現在では14tものキウイフルーツを出荷されています。キウイフルーツを作りはじめて今年で25年というベテランの喜一郎さんですが、「いくつになっても、完璧ではない。農業は天候など、その時の条件によっても変わってきます。日々、勉強です」と笑顔で話されます。研修にも毎年かかさずいっているそうです。「農業の良いところは、のんきなところ。自分に合わせてできる。これからも、今のままを継続していければ」と話していただきました。宮本さんご夫婦の趣味を訪ねると、今は趣味がなくなったと言われます。「昔は2人とも花と盆栽が好きでたくさん作っていたんだけど・・・。いつか、秋葉山の頂上にある公園を花でいっぱいにして奇麗にできたらいいなぁとは思っています」と夢を持たれているようです。以前は京阪神市場に出荷されるだけだったキウイフルーツですが、最近は学校給食や『ゆうパック』などにも利用されるようになってきいています。種の周りが赤みがかっていて甘みの強い、レインボーレッドという品種のキウイも栽培されている宮本さん。「今度の直売所ができたら、ぜひ出してみたいと思っています。みんなに知ってもらって、美味しさを味わってもらいたい」とはなされました。「息子が週一回、休みの日に帰ってきて農業を手伝ってくれます。『定年したら農業するから、それまで続けててよ』と言うので、それまではと思って頑張ってるんです」とチトシさん。その隣で喜一郎さんは、そんなこと当てにならないから分らないよと言いながらも、楽しそうに笑うお二人でした。
|
|
 |